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2024年7月

2024年7月31日(水)
新宿Red Cloth
21周年「大人のカンケイ」
吾妻光良 with 牧 裕
/澤部渡(スカート)

最近、近所に系列店のTop Beat Clubさんが出来て以来、ハッチさん達とももっぱらそちらでライヴをやってばかりで、すっかりご無沙汰なRed Clothさんからお声がかかり、21周年記念に澤部さん、という方と対バンでお届けする、ということになりました。いや、そういえば「対バン」と申しましたが、バンドで出るのかなあ、それとも一人の名前だから、苦手な弾き語りで出るのでしょうか。と心配していたら、待てばカイロの火種あり、好きな編成で構いません、とRed Clothさんから連絡がありましたが、いきなりフルバンドで、というわけにも行きませんので牧さんとのDuoで伺いたいと思います。

開場18:30 開演19:00
前売:3,500円/当日4,000円(ドリンク別)

Red Cloth HP

といったわけで、先ずは我々のデュオからリハーサル、といってもまあ良く演ってる曲ばかりですので、あっという間に終わりが見えてきた頃、澤部さんがお見えになられ、いや、どうもどうも、初めまして、と挨拶をしているうちにどうやら、この組み合わせはレッドクロスのSさん考案によるものだ、ということが判ってきて、いや、お声がけ頂いてありがたい限りです。とのんびりしていると、そのSさんから、共演曲はどうなりましたでしょうか?という話が来て、え?え?そんな話ありましたっけ?と焦ると、ああ!そういえば澤部さんがBoppersの「あの娘のうちは千葉より向こう」を一緒に出来ないだろうか、と仰っている、という話がありましたが、すみません、すっかり失念しておりました!ということになり、急遽その場で簡単なリハをやって、うーん、まあ、何とかなろうか、という形でリハを終え、吾妻と牧さんは近隣の「世界の山ちゃん」に出かけてちとたしなんできたわけですが、行きと帰りがものすごい豪雨で、楽屋に戻ってきた時はこの様に完全放心状態でした。

あ、もう澤部さんの歌が始まってるな、と楽屋から見てみますと、

何かこの雑然とした感じが50年近く前の学園祭の様子を思い起こさせます。澤部さんは生ギター一本の弾き語りスタイルですが、そのコード・ストロークは結構鮮烈で、三連符のたたみこみ方とかは、ピート・タウンゼントを思い起こさせるものがありました。

澤部さんのコーナーが終わると続いては我々ですが、こうした若々しさとも鮮烈さとも無縁なものですから、どうしてもちょっと説教臭いアプローチになってしまったかも知れません。

しかし、たった二人とはいえ合奏は楽しいものでして、知らないうちにこんな笑顔で演奏したりもしていた様です。

そしてアンコールはさっき急場で練習した「あの娘のうちは千葉より向こう」。

確か、自分で書いた曲の筈なのに歌詞を覚えておらず、レッドクロスのSさんにネットで歌詞を聞き取っていただいた、というのが何とも情けない次第です。

しかしまあ、意外に盛り上がったりもしまして、そのままお店での打ち上げでは楽しく歓談させて頂き、澤部さんと牧さんの間に意外に音楽嗜好的な共通点もあることが判りました。

次回の共演、という話は意外と早くやってきそうな予感もします。

2024年7月27日(土)
名古屋 池下 Bar ストレガ
ピアノ同窓会
~早崎 詩生と石田 力の場合~

これで三回目を迎えるという「ピアノ同窓会」ですが、早崎さんと石田さんは高校の同窓生でありまして、以前真夏の今池交差点の喫茶店で吾妻、早崎、石田さんの三人で談笑したこともあります。おそらくは会場は同窓生の方々も多数ご来場されるのではないか、と思いますが、いったいどんな高校生活を送っていたのか、その辺りもうかがい知ることが出来る様な濃密な夜となるのではないか、という気もいたします。中部地区の方は、怖いもの見たさで出かけられてみては如何でしょう?

開場18:00 開演19:00
2,000円(チャージ込み) +飲食代

池下ストレガ公式サイト

2024年7月20日(土)
名古屋クラブクアトロ
吾妻光良&The Swinging Boppers
Guest:バンバンバザール

名古屋クアトロも早いもので35周年! そのお祝いにかけつけよう、ということで、しかも九州からはバンバンの皆さんもおいでになる、というそんなゴージャスな夕べであります。思い起こせばBoppersの面々がバンバンと会ったのは、確かこの地、名古屋でのことでありました。確か、彼らは伊賀かどこかの養豚場だったっけな?何かそんなところの近くのライヴハウスで演ってきた後に我々と合流して飲んでいた様な気がします。一緒に何故か漫画喫茶かどこかに行った様な気もしますが、記憶の彼方です。コーゾー辺りは、この時に彼らに会った印象が余りに強いので、つい最近まで名古屋のバンドだと思い込んでいた、という話もあります。

開場17:00 開演18:00
オールスタンディング: 4,500円(+1ドリンク¥600)

名古屋クアトロHP

Boppers地方公演の際は、揃って電車に乗る、というのは実はそれほど多くは無く、前の旅先から、とか実家に寄ってから、と数人欠けるのが常ですが、この日は珍しく12人中11人が同じ電車に。

岡地がいないじゃないか、と思われるかも知れませんが、靴のヒモか何かを結んでいて座席の下に沈み込んでいるだけです。名古屋についてからは15時ぐらいにお弁当が出る、というので食べずに向かう人もいれば、サンドイッチで済ます人もいますが、新幹線移動の時はこの有名なK軒のS売弁当が楽しみで、という熱烈なファンもいます。

しかし!何とこの日の西島さんの弁当には辛子が入ってなかったのです!こういう時代ですから、スマホからすぐにK軒HPのお問い合わせフォームにアクセスできますので、辛子が入ってなかった旨を早速報告しました。
「怖ぇぇ、カスハラじゃん。」
いやいや、そうではないのですね。西島さんはああ見えても理系の方なので、これがもし工場の生産ラインのロット不良だとすると、自分の他にも何人も辛子の無い人が出るのは宜しくない、ということで報告したそうです。で、そんなこんなで名古屋に着いて楽屋に入ると、何とK軒の担当の方から西島さんに、直接電話でお詫びしたい、というメールが入っており、この度はどうもすみません、いやいや、ロット不良じゃなきゃ良かったです、あ、いや、本当にS売弁当のファンですので、頑張ってくださいね、という心温まる、というか生暖かい話で終わって何よりでした。
そんなこんなでBoppersのリハが始まりましたが、

こういう時は良いのですが、いざこうなりますと、

「うーん、これだと暗くて譜面が見えないな」
という事態が起きてしまいました。平均年齢65をとうに越えてる集団ですので、そうそう暗がりでガッツリ譜面が見えるわけではありません。照明の方を呼んで何か解決策が無いか、と討議しますが、

まあ、根本的な解決策は無く、双方なるべく頑張る、という良い意味で日本的な結論となりました。そしてこの日のゲストでもあるバンバンとのリハーサル。

渋谷の35周年の時に冨田さんが書いたアレンジによる「恋はねずみ色」が、なかなか演り甲斐がありました。
すべてのリハが終わりますと、楽屋で待機ですが、この35周年記念の旗(?)に、両楽団の代表者に何か書いてほしい、ということで先ず吾妻が一筆。

気張って脚立に登って書こうとしましたが、寄る年波のせいでバランスを取るのに必死で、何とも内容の伴わないメッセージとなってしまいました。無理は禁物です。
まあこの後、本番までの時間はかなり余裕がありますのでこうしてあちこちで談笑しているわけですが、

「あれ、そうか。バンバンに一曲ぐらい混じってくれ、と言われたけど、このBoppersの衣装のままだと変だな。近くに安い服屋とかあるかな?」
バンバンの衣装に安い服、というのもちょっと失礼な感じもしますが、運悪く近隣にはそういう店はありません。
「吾妻さん、私の上着、貸しますよ。」
と早崎さんのありがたい申し出はあったのですが、

さすがにこの格好でステージに立つほど図太い神経はしておりません。苦慮した結果、翌日東京に帰る時に来ていこうと思っている平服を投入してはどうか、ということを思いつき着てみました。

唯一心配なのは翌日着ようとしたに汗だくだった、という様なことにならないか、というのはありましたが、バンバンの音量でせいぜい1~2曲、という状況なら大丈夫だろう、とこの服で本番に。

なかなかいい感じだっただけでなく、全然汗で濡れることも無く、翌日は快適に過ごせました。で、バンバンの舞台が終わると我々の出番ですが、この日はいつものインスト、”Things Ain’t What They Used To Be”に続いて、吾妻とコーゾーのコンビ物の新曲「打ち上げで待ってるぜ」を初披露いたしましたが、

唄い慣れていない曲ですので、吾妻の目線がガチ歌詞カードに向いているのが何とも情けないところです。こうした慣れてない曲の後には慣れた曲でバランスを取るのがバンドの鉄則ですので、続いてはゴリー・カーターの”Come On Let’s Boogie”。サックス陣のバトルを盛り上げる冨田さんも慣れたものです。

リハの時に照明さんと色々話し合った結果が功を奏したのか、曲によってはこれでもか!というぐらい明るい場面も多々ありました。

ちなみに写真の左上にブラックホール風のものが浮いている様に見えますが、これは灯りの当たっていないミラーボールですので怖れることはありません。我々の最後の曲は、渋谷クアトロに続いて二回目の演奏となるハードなスロー物の新曲、「誰もいないのか」でしたが、

70年代の中頃のブルース・ブームのさ中に青春を過ごしてきた吾妻と岡地が妙に前のめりになっているところが何とも象徴的ではあります。そしてちょっとしたセット・チェンジ時間を頂いた後には、

Boppersとバンバンの全員、総勢16名がズラリと並びました。16人もいてそれぞれやることはあるのか、といぶかる方もいらっしゃるかも知れませんが、いやあ、ご明察。

この様にスマホでの写真撮影にいそしむベースを持たないベーシスト、などもいた様です。しかしまあ、こういう労働量の偏りは決して良い結果を生まないものですから、そこはきちんとワーク・シェアリングなどで均等な労務負担が実現されていたのは何よりでした。

予定していたアンコール3曲もすべて無事に終わり、お疲れ様でしたー、ナマステー、と舞台から去る我々でしたが、

渋谷に続いてここ名古屋でもありがたいことに、アンコールの拍手が鳴りやまず、結局福島さんと吾妻の二人でミルス・ブラザーズの “Till Then”を英語と日本語でお届しました。

楽屋にも多くの方々にご挨拶に来て頂きましたが、日頃からお世話になっているアラン・プーサンの皆さんや、四日市のとある業界の会長さん兼ブルース・プレイヤーのトビーさんですとか、

これまた、とある業界を代表する様な方であり、大変な繁忙期にも関わらずこんなところで遊んでいるのがバレたら大変なことになるのではないか、という忖度感情からちょっとモザイクの大きさを粗く加工してみたSさんですとか、

本当に多くの皆様のご愛顧に感謝いたします。打ち上げはクアトロさんに選んで頂いた居酒屋で、おい!この猛暑日にホルモン鍋かい!という灼熱の呑み会ではありましたが、BANBANもBoppersも楽しく過ごして帰りました。

これからも40年、45年、50年、と元気に続いていって頂きたい名古屋クアトロでありました。

2024年7月13日(土)
名古屋 今池 Tokuzo
吾妻 光良 Jump Meeting

吾妻光良(vo.g),牧裕(b),岡地曙裕(ds),早崎詩生(p)
登敬三(ts),小埜涼子(as) ,石渡岬(tp)

ありがたいことに今年も演らせていただくことになりました! トリオ+1とトクゾー・ホーンズの御三方による名古屋・京都ツアー、先ず初日は名古屋のTOKUZOであります。 昨年は譜面がちゃんと揃うのか、などの不安もありましたが、順調に揃いましたので、まあ今年も大丈夫だろう、と思っておりますが、油断は禁物、緊張感を持って臨みましょう。そしてBoppersの名古屋クアトロ公演の一週間前ではありますが、演目一切ダブり無し!ですので、両日観覧されてもまったくオッケー、と申しておきましょう。

開場18:00 開演19:00
前売:4,000円/当日4,500円

TokuzoさんHP

名古屋はさぞや暑かろう、と思っていたのですが、偶然の梅雨空に助けられ、生命レベルが低下することも無く、無事にTokuzoさんに到着、そういえば予防手術の退院後初復帰の牧さんも皆と一緒に無事会場入りしました。楽器などを準備していると、どうもどうも、とトクゾー・ホーンズのお三方もやって参ります。そういえば、この小埜ちゃん、岬さん、登さん、というメンバーになったのはいつからだろうねえ、などと話していても、ちと記憶と記録がおぼろげなのですが、大体のところとしては2009年辺りではないか、ということで、そうなると今年で15年目、ということになりますな。それだけ続けていると演目も増えるものでして、東京で数えたところ我々の演目だけで15曲、京都のゲスト、タンメンのものが更に4曲、いやあ、ずいぶん充実してきました。とりあえず。その演目をダダダ、とリハーサルでさらえて、近くの良く行く居酒屋さんでたしなみタイム。今回の新発見は、魚肉ソーセージと枝豆を鉄板で焼くのは意外に美味しい、ということでした。そして始まった本番、先ずは我々4人だけです。

なぜ3曲だけ我々で演るのか、というと当ページの「過去の公演」で昨年は先ず3曲我々で演った、と書いてあったからでして、日本の風土の一つである前例踏襲、というのが骨の髄までしみ込んでいるわけです。そして4曲目からは一挙にトクゾー・ホーンズの方々も加わります。

「どうでもいいけど、冴えない絵柄が続くな。」

そこなんですよ。東海地区は写真を撮ってくれる様な知り合いもいまいち乏しいので、その昔自動撮影システムを導入したのですが、当時は相当ボロい機械だったのを、今年の2~3月の米国西海岸旅行に合わせて吾妻が新しく購入したアクションカメラと入れ替えまして、これならそこそこのモノが撮れるだろう、と店の隅に置いて30秒ごとに一枚撮る、という設定にしたのですが・・・、まあ、機材の問題でも無い様です。結局、良く見に来て頂いているMさんから頂いた写真の方が、遥かに様子が良く判ります。

当初は東京も暑い日々が続きますし、19曲もあるなら新しいネタも特に無くていいか、と思っていたのですが、事前にタンメンに演目の相談をしたところ、新ネタを一曲演りたい、ということで、そうか、負けちゃいられないな!と一念発起して新ネタを一曲書きました。タンパ・レッドという方の「ハーレム・スイング」という曲で、4人だけで演っているとどこか捉えどころが無く、うーん、タンパ・レッドって曲に力が無いんだよねえ、などと揶揄したりしてたわけですが、トクゾー・ホーンズと合奏するとあれま! いきなり素晴らしい曲に生まれ変わるではありませんか!これには我々4人も大層興奮いたしました。

タンパさん、悪口を言ってすみませんでした。とはいえ、東京に戻ったらまた3管がいないので再び捉えどころの無い曲に戻ってしまうのかも知れませんが。さて、この日のもう一つのハイライトはアンコールの”Swingin’ On The Moon”。事前に念入りに、皆さん、間奏の時には客席に出てきて思う存分吹いてくださって良いのですよ、という指示を出してしっかりと動きもまじえたリハをやりましたので、その成果が見事に表れて、

さあ、アンコールが始まりまして、え? 写真? いや、Mさんの撮ってくれたのはもう無いので再び自動撮影システムに頼るしか無いのですが、一部とは逆サイドに置いてますから、絵柄も変わって新鮮ですよね。しばらくすると

ほらほら、早崎さんが客席に乱入していきますよ。そして

ホーンズの皆さんも全員客席に下りて、残っているのは牧さんと岡地さんだけに、そしてしばらくすると

ホーンズ3名も戻ってきて、最後は

さあ、全員で終わりましょうか、というシーンです。え?全然臨場感が伝わらない?30秒に1枚、というと、こんなもんなんですねえ。勉強になりました。そして終了後は、早崎さんの高校の同級生の方々も混じっての打ち上げ。でも翌日がありますしね、そう深酒はせずに戻りましたとさ。

2024年7月14日(日)
京都 磔磔
吾妻 光良 Jump Meeting

ゲスト:福嶋”タンメン”岩雄

前日の7名に加えて京都ではこの方をゲストに招く、というのもすっかり定番となって参りました。これまで演ってきた曲ももちろんですが、今回はそれに加え、自己のバンド”Rockin’ The Blues”で最近唄っている、新たな日本語訳ブルースなども演らせていただこうかな、と思う今日この頃です。しかしまあ何だかんだでこの頃は絶対猛暑の筈で、熱中症を避けるには外に飲みに行くなら慣れ親しんだ昨年のお店が良いかな、と思う今日この頃でもあります。

開場17:00 開演18:00
前売:4,000円/当日4,500円

磔磔HP

譜面の不備も無く、順調にスタートした2024年のトクゾー・ホーンズとのツアー。磔磔に入って本日の演目などをホーンズの方々に伝えていると、

吾妻「じゃあ、そういうわけで二部は3曲演ったらそこからタンメンの3曲です。」
小埜「タ、タンメンさんの3曲?ですか?一曲しか無いんですが。」
吾妻「そんなわきゃ無いだろ、これまで4曲演ってんだから。」
小埜「あ、でも吾妻さん、昨日得三の後に確認したら、今日の譜面は昨日のぶんを持って来れば良いですか?って聞いたら、ああ、それで良いよ、って・・・。」

あちゃー、いや、それはね、君ね、ゲストの分は別でね、などと言ってももはや後の祭りです。昔だったらもう大変な状況ですが、この時代はクラウドがありますので、無事に3曲中2曲はクラウドから印刷して、一曲のみ手書き対応でことなきを得て、リハーサルを開始しました。

そう、写真は謙ちゃんにお願いしました。ありがたいことです。しばらくするとタンメンもリハに加わります。

しかし、いくら1管だけとはいえ、急場でこしらえた譜面は何かと不具合も多く、その検証に結構な時間が費やされました。

あらあ、いったいどこ演ってんのかしらねぇ、的な近所のオバさん風の小埜ちゃんの表情がいい感じです。リハ終了後は、決していつもの灼熱の京都では無い、というものの、そうそう外出する気にもなれず、近隣のコンビニで飲み物と食料を調達してご歓談。タンメンのバンド、Rockin’ The Bluesのバンマス、井尻ィ君も参加しています。

そして本番、この日はタンメンの演目も4曲あるので、4人だけのコーナーを設けている場合ではないので、ど頭からホーンズの皆さんも入っての編成でお届けしました。

前日も演ったものの振り付けがイマイチだったよなあ、と反省したダンスの曲「エレファント・ロック」をこの日はリハ時間をふんだんに利用して振り付けの練習をしましたが、その成果がこちら。

スピード感があることだけは、判って頂きたいものです。早崎さんはこの日も数曲ピアニカを披露しましたが、ソロの途中で、おお、凄いベンドが出来る様になったもんだな!と感心していますと、

そうそう、以前も同じことがありました。このベンドはピアニカのリードが壊れる前の断末魔の悲鳴だったのです。
さて、二部の途中にはタンメンの登場。

定番のNobody Knowsから、Rockin’ The Bluesでも唄っている”Real Gone Lover”、転じて「イラチな野郎」も披露して円熟したシャウターぶりを魅せてくれました。そしてアンコールは、そんなタンメンと吾妻とでジャンプ大会。こんな雰囲気でした。

去年も似た様な画像を貼った覚えがありますが、いやあ、前例踏襲は楽で良いですね。そしてアンコールの二曲目はタンメン抜きで前日も演った”Swingin’ On The Moon”

ということで、いやあ、楽しかった! 何とか来年には東京地区の方にもこの編成をご覧いただきたく努力していこうか、と思いつつある昨今であります。

2024年7月6日(土)
新宿 PIT INN 昼の部

吾妻光良・藤井康一ブルースセッション

吾妻光良(Vo.G) 藤井康一(Vo.Ts) 守谷美由貴(As)
板橋文夫(P) グレック・リー (B) 塚田陽太 (Ds)

四季折々にやってくる藤井君との昼の部のブルース・セッション、板橋さんと守谷さんとはもう何回もご一緒させて頂いておりますが、グレッグさんとはチョー久しぶりでありまして、どれぐらい久しぶりか、と申しますと、確か新宿ピットインがまだ紀伊国屋書店の裏の方にあった頃でありますから、どれぐらい前なんだろう・・・、ちょっと待ってくださいね、ググってきますから。
おお!少なくとも1992年よりも前!ということは、32年ぶり以上、ということになります。そりゃあ齢取るわけですね。更にドラムの塚田さんという方とは、今回初めて共演するわけでして、ちょっと調べてみたところ、2000年生まれ、ということだそうで、年齢差は44歳、すると藤井君との年齢差は42歳、年寄りじみた発言をしない様に注意したいものです。

開場13:30 / 開演14:00
¥3,000+税(1DRINK付)

PIT INN ホームページ

なんだかんだと半期に一度、という感じで催している藤井君とのピットイン・ブルース・セッションですが、都知事選の直前日だというのに、多くのお客様にお越しいただきまして、頭を垂れる思いであります。

写真だけ見ると熱気あふれる深夜の新宿のジャズ・クラブ、という感じですが、実際は雲行きアヤしい曇天下の湿気あふれる新宿のジャズ・クラブ、でありました。演奏している面々はといえば、

まあ、こんな感じでいつもと変わらない様な面々が・・・、いやっ!ちょっと待った!

そうですそうです、板橋さん越しに見える座ってベースを弾いている方が、吾妻は32年ぶり、どころか35年ぶりかも知れないというグレッグ・リーさん。何しろ藤井さんに至ってはこの日初めてお会いする、というリーさんでございまして、更にその右におられるのがドラムの塚田さん、何と、吾妻も藤井君もほぼ20代の知人・友人が絶滅している中で、バリバリの20代。と大変珍しい顔合わせとなりました。

この日は板橋さんも梅雨の湿気のせいか、珍しく正統派(?)のジャズ・シャツといういでたちで来られてましたので、吾妻もその薫陶を浴びよう、と必死で伴奏させていただきました。これでもう少しジャズシャツも似合う様になりますでしょうか。

そんな後ろで黙々とベースを弾いておられるのがリーさん。塚田さんもおられますので、どうしても会話は年齢に関することが多くなりまして・・・、

「リーさんは生まれは何年なんですか?」
「うーん、50ナナネンね。」
「57年か、57年ちゅうと、あ、藤井君と」
「そうだ、同学年だね!」
「アメリカでも学年、って良く言うんですか?」
「いわないいわない、ゼッタイいわない。」

折角の良い機会ですので、この歌のこの歌詞は本当はどんな意味なんでしょうね?みたいな質問をリーさんに投げかけてみたのですが、リーさんも日本がずいぶん長いので、「うーん、忘れた」といった場面も何回か見られました。

そして最後はいつもの様に大団円で、さて夕方からの打ち上げに行きましょうか、と外に出ようとしたらまさかの大豪雨!多くのお客さん達もピットインに足止めを食うなか、もうこれ以上待てない!とばかりに店を飛び出して行った板橋先生。では我々もお供します!となだれこんだのはピットイン向かいの餃子屋さん。本来ツアーのために欠席する筈だった本田珠也さんがツアーがなくなったのでウチアゲにだけ参加、スタッフのTさん達もかけつけて、雨が止むまでかなり長いこと飲んでから帰路につきましたとさ。

2024年7月4日(木)
高円寺JIROKICHI
吉森 信 & 吾妻 光良

前回の成功(当社比による、もしくはあくまで個人の感想です)に気を良くして再び吉森さんとのDuoを敢行することになりました! そうか、どういう曲を演ろうかな、普段トリオとか、ましてやBoppersでは出来ない曲もあるよな・・・、例えばリロイ・カーの旧いブルースもこの季節にピッタリだし、あ!そういえばランディ・ニューマンのあの曲なんて良いじゃないか! 世の中には星の数ほど雨の歌はあるけど、あれはなかなか良く出来た曲でねぇ、あれ?もう6月じゃないのか。うーん・・・、この時にもまだ梅雨は続いているのか、それは誰にも判らないのでございます。

開場18:30 開演19:30
前売:3,000円/当日3,500円(+ドリンク)

JIROKICHI ホームページ

これで3回目、いや、4回目になるのかな?吉森さんとのDuoもだいぶ曲が増えてきまして、ちょっと違った感じで演ってみるのも良いかな、という気もしないではないのですが、やはり生ピアノとのデュオ、というのは生ギターが相性としては宜しい様で、この日も通称「800円」と呼ばれているフォーク・ギターをちょっとだけ電化する、というしつらえで臨みました。

回を重ねるごとに、大体の構成も固まってきまして、吾妻の持ち歌のヴォーカル曲と吉森さんの持ち曲のインスト曲を交互に演奏していく、というのが基本線となります。まあ、ヴォーカル曲は歌詞の概要を説明すればそれで内容の説明としてはこと足りるわけですが、インストの説明というのはそれはそれでなかなか難しいわけです。

「この『ツキを待つ魚』というのは、どういう話で?」
「いや、水槽にですね、コケが生えるわけですよ。」
「苔、ですか?」
「いや、確実に苔ではなくて藻かも知れない。」
「ほうほう、それが月の下で映えるという様な?」
「いやいや、そうではなくてですね。」

という様な展開になるとどうにも話も長くなっていくわけですが、実は吉森さんも吾妻も結構本が好きでして、吉森さんは吾妻がSF好き、というのを知って、前回のライヴの時にある本を貸してくれたのです。

「吾妻さん、これ読んでみたらどうでしょう?」
「ほうほう・・・、これは、か、川端康成?」
「結構ね、不思議なんですよ、SF的というか。」

で、この日に借りた川端康成をお返ししたわけですが、読んでみてどうでしたか?という話になり、うーん・・・、ちょっとオチがはっきりしないところが自分には向いてなかったですなぁ、という様な読書談義も交えて進行していきました。

曲目も緩急、織り交ぜて進行していきますが、弾き慣れない生ギターですので、ピックアップのケーブルを手で引っ掛けてしまったりして、修復に追われる場面も何回かありました。

楽しく終えたライヴでしたが、実はこの日は近所のスタジオで梅津さんやかわいしのぶさん達がリハをやっていて、途中のたしなみタイムもご一緒しましたが、第二部には呑み会から次郎吉になだれこんで来られましたので、次郎吉での二次会に我々も参加させていただきました。しかし、梅津さんも元気ですねえ。

2024年7月2日(火)
下北沢 本屋B&B

『ギター・マガジン2024年7月号
(特集“にっぽんブルース史”)』発売記念

吾妻光良×濱田廣也
「ぶるーすの魂はいずこへ
“SP・EP盤を聴く”篇」

Boppersのスロー・ナンバー「学校出たのかな」のモデルになったとも言われる(?)リットー・ミュージックのSさんがつい先日、ギター・マガジンの編集長に就任し、その最初の特集として組まれたのが、「にっぽんブルース史」。関西・関東の多くのブルースマン達がインタビューで登場しておりますが、「ニッポン人のブルース受容史」を出した日暮さんも亡くなられた今日この頃、改めて皆さんにブルースを聞いて頂きたい、ということで、ブルース&ソウル・レコーズ編集長の濱田さんと一緒にSP/EPを聞きながら色々語らうことになりました。まだ行ったことは無いですが、お酒も呑める本屋さんということで、高感度なお店の期待大です。

イベント時間:19:30~21:30
参加費:2,750円 (1ドリンク付)
ギターマガジンも購入可能!(1,650円)

チケット購入ページ

この日はギター・マガジンのイベントなのにギターは無い、という大変珍しい企画でして、まあ言ってみれば、「論語読みの論語知らず」、はたまた「医者の不養生」といおうか、いや、どちらも表現が悪いな、ともかく普段ギターのことばかり考えている人も、今日はブルースを聞いてみましょうや、とそういう催しなのでありました。まあこういう時代ですから、スマホでサブスクでイヤフォンで聞く、というのも出来るわけですが、あえてこういう最先端の本屋さんに集まって聞くのですから大きな音でスピーカーで聞きましょうや、ということになったわけです。
で、今回大変写真が乏しいのではすが、BSRの濱田さんが自宅から1940年代のスピーカー・ボックスと1950年代ぐらい、と思しきスピーカー・ユニットとそれを鳴らすアンプ類を持ってきて、SP盤と45回転シングル、などでブルース、それもギターが印象的な曲を次々と聞いていきました。


特集「ニッポンのブルース」に即して、1970年頃の日本でもヒットしてラジオで普通にかかっていたB.B.キングの「スリル・イズ・ゴーン」に始まって、アルバート、フレディの3大キング、
ブームに火が点くきっかけとなった第一回ブルース・フェスで多くの日本人が初めて耳にしたビル・ドゲッドの「ホンキー・トンク」、一般的に良く知られる姿よりもロック風味の増した(?)ルンブギ・レーベルでの「T・ボーン・ブギ」が冴えわたるT・ボーン・ウォーカー、ギター・アンプではなくて当時の拡声用のPAアンプで凄まじいディストーション・サウンドを響かせるギター・スリム、ビートルズの「ヘイ・ジュード」並みに長尺の超大作スロー・ブルース「ギャンブラーズ・ブルース」が大迫力のオーティス・ラッシュ、吾妻が大学時代にひたすら練習していたアルバート・コリンズの「スノー・コーン2」などを聞きまくったわけです。テーブルの上にはギター・マガジン本誌と、拙著「ブルース飲むバカ、歌うバカ」、「ブルース&ソウル・レコード」の第300号などが仲良くディスプレイされていました。

ちなみに上の写真では、そうした三冊の本の左側にアルバート・コリンズが実物大以上の顔写真で写っている”Truckin’ With Albert Collins”というアルバムがディスプレイされておりますが、今見てもおもろいジャケットです。吾妻がこれを購入したのは、大学1年の時、大学生協の売店でのバーゲン・セールでしたっけ。そして最後の方にも、これだけLPレコードで書けましたが、スティーヴィー・レイ・ヴォーンもインタビューで大興奮して語っていた、謎のジミヘンばりのギタリストが凄い、スライ・ウィリアムスの「ブート・ヒル」、などなど、濱田さんとギター・マガジンの錦織さんと喋り倒して聞きまくり、喋りまくった一夜でした。

そして、ギター・マガジンさんのイベントにも関わらず、何故か拙著「ブルース飲むバカ」をお持ちになったお客様にもサインをしてしまう、という吾妻でございました。

終了後は、その「飲むバカ」の編集を担当していただいた、Two Virgins社に勤めていたY川さんとその後輩の現・BSR誌担当のOさんに濱田さんと吾妻で、短期決戦ワイン・バー経由で帰路につきました。